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歴史
宇和島屋は、四国愛媛県八幡浜市出身の森口富士松により、1928年、ワシントン州タコマ市で創業されました。森口は、ピュージェット・サウンド地域の製材所、漁港で就労していた日本人労働者に魚の練り製品などの食材をトラックの荷台から販売していました。森口は商業を学んだ地である宇和島市から、自分の商売の屋号を「宇和島屋」と名付けました。妻の貞子はタコマ市内で、小さな宇和島屋を営んでいました。
アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦するまで、タコマ市で店を続けていました。1942年、大統領行政命令9066号の発令後、森口と妻の貞子と子供たちは、カリフォルニア州ツールレイクの日系アメリカ人強制収容所に送られました。終戦後、森口一家はシアトルに移り住み、かつて戦前にシアトルのニホンマチあるいはジャパンタウンとして栄えた南側のサウスメイン・ストリートで小売店と練り物製造業として宇和島屋を再開しました。宇和島屋は日系コミュニティーに日系の食料品を提供すると同時に、日本から食料やギフトの輸入も始めました。1962年にシアトルで世界博覧会が開催され、同時期に宇和島屋は大成功を納めました。宇和島屋は、日本人以外のお客様へも、日本から取り寄せた品質の高いギフト、キッチン用品、珍味の販売を始めました。世界博覧会で成功を収める一方、同年の夏に創業者の森口氏は逝去しました。富士松の4人の息子による経営の元に、宇和島屋は引き続き、ケータリングから第二、第三世代のアジア系アメリカ人そしてアジア系以外の人々のニーズに合った品揃えで、事業を開拓、拡大しております。アジア料理のクラスを開催したり、中国、韓国、フィリピンなどのアジア諸国の品物を揃え、さらに多くの皆様にご利用いただいております。
1970年、宇和島屋は、さらに2ブロック南に移動し、南6番通りとキング通りに2万平米の店舗を開店し、パシフィック・ノースウエスト地域最大の日系スーパーマーケットとなりました。8年後にはさらに1万6千平米を増築し、青果、精肉コーナーを改装し、暖かい食事がその場でも食べられ持ち帰りもできるデリ・カウンター、活魚を扱うタンクを備えた鮮魚コーナー、優れた美術品、書籍、レコード、衣服、キッチン用品、化粧品、着物、布地を扱うギフトコーナーを設けました。リモデルした当時の店舗には、人気の宇和島屋料理教室もありました。
1978年シアトル・イーストサイドの急激な人口の増加に伴い、ベルビュー店を開店しました。その20年後、オレゴン州ポートランドの郊外ビーバートンに3店舗目を開店しました。2000年11月、宇和島屋はさらに1ブロック南側へ移り、シアトルのチャイナタウン/インターナショナル・ディストリクトの中心となる宇和島屋ビレッジのを新築開業いたしました。6万6千平米に及ぶ小売りスペースには、宇和島屋アジア食材&ギフト・マーケット、紀伊国屋書店、ワシントンミューチュアル銀行、サロン・ジュノ、パリミキ・オプティカル、サヴィ・アジアン・コスメティクス、アジアフードコートが含まれます。店舗上階には、176戸の宇和島屋ヴィレッジ・アパートメントがあります。
1962年に創業者の富士松が亡くなってから宇和島屋と森口家の柱であった森口貞子が、2002年の夏にこの世を去りました。彼女の死は、女家長として彼女の長年の働きを知っていた多くのお客様と従業員によってたいへん惜しまれました。
現在、宇和島屋の最高経営責任者は森口まつのともこ、取締役は会長の森口富雄、副会長の森口あきらとなっており、7人の親族が宇和島屋の経営に携わっております。宇和島屋は、従来の小売業に加え、フードサービスや食品加工業でも業績を伸ばしています。


